【歴史文化交流の旅 ⑯】
目黒周辺の庶民の祈りと生活の形と河童橋道具街、
江戸城内日本庭園と城の面
目黒歴史文化研究会
代表 鈴木正次
事務局長 戸沢二郎
目黒の油面商店街の中程に、子育て地蔵と呼ばれるお地蔵さんがあり、
親しまれています。是の商店街のなかに正門がある油面小学校の子ども達は、
お地蔵さんのほほ笑みに支えられてのことというわけではないのですが、
何とも微笑ましい話です。
今回の歴史の旅は、こうした、庶民の生活にとけこんで残された祈りと生活の跡を
目黒周辺で探り、観音さまの街浅草に栄える河童橋道具街、
江戸城(現在の皇居)内の城の面影と日本庭園を訪れます。
目黒川そばの、東山貝塚は、縄文時代の貝塚と竪穴式住居などが発見された東京三大貝塚のひとつで、
貝塚公園として一部復元されています。
江戸時代、庶民には、富士山信仰があり、富士こうを作って、登山したことにする習わしがあり、目黒にもその跡が残されています。
開館一周年を迎えるめぐろ歴史資料館には、その富士こう遺蹟内に作られていた「体内洞穴」が復元され、
そのスケールの大きさには驚かされます。この資料館には、東山貝塚の出土品も収められています。
大円寺石仏群、五百羅漢、ヒマラヤのふもとで生まれた仏像、曼陀羅
目黒駅から、下ってゆく急な坂の行人坂から目黒不動あたりにかけてはお寺が多く、
江戸時代来栄えてきました。
行人坂途中の大円寺には、小さいなが石仏群があり、
それぞれの仏の表情は庶民の生活のなかの祈りを感じさせます。
目黒通りをわたってすぐにある、五百羅漢寺内の羅漢像(現物は三百五体)は
人間のさまざまな思いを体現している様で、引き込まれます。
不動商店街から少し入ったところにある安養院には、
ヒマラヤ山麓の北インド、中国内チベット等に栄えた仏教の信仰のもとに生まれた仏像、
曼陀羅などが収められた美術館があり、圧巻です。
目黒の古民家〜雀のお宿、富野古民家自然園
目黒のさんまと並んで、目黒の竹の子といわれるくらい、かつての目黒には、
竹が多くみられたとのことです。碑文谷にある雀のお宿公園は、
竹林に囲まれた古民家が、そっくり区に寄贈されたもので、
江戸時代のこのあたり荏原郡碑文谷村が、
農村地域であった頃に栄えた屋敷と屋敷林を今に残す文化遺産で、
目黒地域の近世農村史の重要な資料となるもので、
緑豊かな武蔵野の原風景を留めています。
観音さまの街浅草の傍らに、河童橋道具街と呼ばれる一角が今に栄えています。
職人のわざが伝わり、商売人の買い付け客だけでなく、
一般の人も多く訪れるようになってきています。
車をとめる予定の海禅寺は、河童橋交差点の近くで、
幕末の志士、梅田雲浜や、蜂須賀家の墓があります。
江戸城(現在の皇居)の一部が公開され、隠れた名所になっています。
石垣の様子、屋敷跡など、江戸城内の様子を残し、
また武蔵野の雑木林を残す場所もあり、城内の日本庭園も復元されています。
行く日 11月21日(土) 午前8:30 祐天寺ロータリー出発
会費 5,000円 バス代、昼食代(河童橋近く、寿司屋のランチ)、
資料代、入館料含む
申し込み連絡先は戸沢事務所まで
戸沢二郎事務所
住所:〒153-0065 目黒区中町 1−5−10
TEL/FAX:03−3716−7755
メールアドレス:meguro@tozawajiro.net
2009.11/1